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■ひとりさん通信 第10刊 心の“傷”を治す、第1歩は 「そのままでいいんだよ」 (2014年12月号) 

      2015/05/20

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今月のひとりさんのお話

心の“傷”を治す、第一歩は
「そのままでいいんだよ」

みんな『からだの声を聞きなさい』と『五つの傷』(リズ・ブルボー著/ハート出版)は読んだかな。この2冊はすごくいい本だから、ぜひ読んでほしいんです。

この2冊を読むとわかると思うけど…、人って誰でも、心に“傷”(トラウマ)があるんだよね。

人は、心にある“傷”に気が付いて、それを癒すために、この世に生まれてくるの。だから、“傷”がない人なんて、ひとりもいないんだよ。それで、その心の“傷”が、その人の性格や行動を、奥深いところでコントロールしているんだよね。

でもね、その“傷”を「いけないもの」だと思わないでほしいの。“傷”ができるには、それなりのワケがあったんだよ。

なぜ、“傷”ができたかというとね…、最初は「良かれ」と思ってそうなったの。「自分を守るための手段」だったんだよ。

例えば「逃げ型」の人が、物事からすぐに逃げようとするのは…、前世で戦国時代とかに生まれて、農民だったときに、侍に刀を持って追っかけられたりしたことがあるのかもしれないね。その人は、命からがら、一生懸命逃げることで助かったんだよ。だから、何か怖いものがあると「さっと逃げるクセ」がついちゃったんだよね。

141204_008[出典:東映太秦映画村]

その人の“魂の歴史”では「逃げること」は悪いことじゃないの。逆に、逃げたからこそ命が助かったの。

そのことをちゃんと認めてあげてほしいの。自分に向かって、「お前、よく逃げてきたな。だから生き延びられたんだよな」って自分のことを褒めてあげてください。

その上で、「…ところで現代って、もう刀を持って追いかけてくる侍もいないし、そんなに逃げる必要ってあるのかな?」って改めて考えてみるの。 そうすると、「あ、もう逃げる必要はないんだな…」って心が納得する。それで、スーッとラクになるから。そうやって俯に落ちたとき、はじめて心の“傷”というのは消えていくんだよ。

それから「マゾ型」の人で、必要以上に食べちやって、太っちゃう人っているよね。そういう人は前世で、飢えで苦しんだ時代を経験しているのかもしれないね。だから、「食べ物があるときは、お腹いっぱい食べておく」っていう本能が、体に沁みちゃっているんだよね。

でもね、いまは食べ物がありあまっている時代だよね。こんな恵まれた時代になっても、まだ「あれも食べておかなきゃ…とか、「これも食べておかないと…」とか、食べ物の心配をしょっちゅうしている人がいるの。

ひとりさんは、そういう人に言いたいんです。「いまは食べ物の心配をするよりも、あなたの“目方”の心配をした方がいいですよ(笑)」。…というのはジョークだけど、必要以上に太っちゃうのは、「“傷”に気が付いてください」っていう神さまからのメッセージなの。神さまが「もう余計なことを心配する必要はないですよ」っていうメッセージを送ってきているんだよね。

それでね、自分の心の“傷”に気が付いたとき…、まずは「そのままの自分を愛してあげること」。これが第一歩なの。

具体的に言うと…、「そのままでいいんだよ」って自分に言ってあげてほしいんです。

「そのままでいいんだよ」っていう言葉の奥にあるホントの意味は、「そのままにしていればいい」っていうことじゃないんだよ。

まずは「そのままでいいんだよ」と言ってあげると、かたくなっていた心が、ふわっとゆるまるの。そこから「癒やし」が始まるの。愛情が心にじわじわ補充されて、“傷”がスーッと治っていく。心の“傷”っていうのはね、自分を否定するんじゃなくて、「そのままでいいんだよ」って認めてあげるところから始めないとダメなんだよ。

心の“傷”を治す、第一歩は「そのままでいいんだよ」

みんな、自分の心の“傷”に気付いたら、それを「いけないもの」だと思わずに、認めてあげてください。
「そうじゃないと、自分は生きてこられなかったんだな…」「この“傷”が自分を守ってきたんだな…」。そう思いながら、自分に、「そのままでいいんだよ」と言ってあげてくださいね。

そうすることで、あなたの「心の癒し」は急激に進んでいきますよ。

今回の話は以上です。
ありがとうございました。
ひとり

ひとりさんと歩んでいきたい

どうしようもない母親だった私
心の傷を癒し始めたいま
息子に「愛しているよ」と伝えたい

141204_011

埼玉県坂戸市
店名:ニャンかCOCOついてる!
千葉由香里さんのおはなし

思い切って、本当のことをお話します。

感謝しています。私は埼玉県で特約店をしています、千葉由香里といいます。私は皆さんに、自分の体験をお話するのに、非常に勇気がいりました。なぜなら、このことは、私のお客さんにも隠してきたことだから…。しかし、私はこの事実をいつかお話したい…とずっと思ってきました。

ひとりさんにご相談したところ、

「由香里ちゃんがすべてをさらけ出して話しても、ひとりさん仲間は、みんなあったかい人だから、誰もあなたのことを軽蔑したりしないよ。また、話すことで、同じような苦しみの中にいる人のお役に立てるかもしれないよね」
とおっしゃってくださいました。この言葉に大きな勇気をいただきましたので、思い切って、お話したいと思います。

いま、私は一人暮らしをしながら、自宅でお店をやっています。お客さんから、「由香里さんは独身なの?」と聞かれて、「…うん、まあ、そうなの」と答えてきましたが…。正直に告白します。実は私には、夫と、ふたりの息子がいるのです(※夫と息子は、離れた場所で暮らしています)。

なぜ、私たち家族が、離れ離れで生活しているのか…、まずは、そこからお話しますね。

私は、20代のときに結婚して、二人の息子に恵まれました。後でお話しますが、私は幼少のころに、「忘れられないトラウマ」があり、心に大きな“傷”をおって育ちました。「生きていても、何が楽しいのか、さっぱりわからない…」というような殺伐とした感情で日々、生きてきました。

こんな私でも人並みに結婚し、母親となりました。自分の子どもを胸に抱いたとたん、ものすごく可愛くて、いとおしくて…。「私の人生すべてを、この子のためにささげたい!」と思ったほど、溺愛するようになりました。私は生まれて初めて「子育て」という“夢中になれるもの”を見つけたのです。毎日、赤ちゃんの体重を計ったり、飲んだミルクの量を計ったり…。いま思うと異常なほど過保護にして、育児に没頭していきました。

主人は仕事人間でしたので、帰りはいつも遅く、実家が遠いので誰かに預けることもできず、子どもが幼少期のころは、1日も離れたことはありませんでした。ママ友と出かけたり、お茶を飲んだりなど、息抜きをする時間もなかったのです。

そんな生活が5年ほど過ぎ、幼稚園に上の子を入れたころから…、私の「心の歯車」が狂っていきました。

正直にお話します…。息子に対する「虐待」を始めるようになったのです。

私の息子が入った幼稚園は、「しつけ」に厳しい方針でした。息子はおっとりしていて、やさしい子でしたが、テキパキ物事を進めるのがニガテで、すべてにおいて、ゆっくりしているようなところがありました。

幼稚園では、そんな息子の「ゆっくりした個性」を受け入れてはもらえず、親の私が呼び出され、たびたび注意されることがありました。

先生から「お宅のお子さんは…」と注意を受けると、私はまるで自分が否定されたような気持ちになってしまうのです。「子供の恥」イコール「私の恥」とでもいいましょうか…。私は息子に当たりちらすようになりました。

「なぜ、もっと早くできないの?」「なんで、そんなに遅いの?」「どうして、あんただけ、こんなにダメなの?」…。私が怒鳴り散らしても、息子は、「ママ、ごめんなさい…」「ボクが悪いんだよね…」と素直に謝り、しょんぼりしています。そんな息子の寝顔を見ると、「なぜ、あんなことを言ってしまったのかしら…」と激しく後悔し、毎晩、私は泣いていました。それでも翌日、息子の顔を見ると、頭の回線がキレてしまうのです。私は、自分の奥底からあふれ出てくる「とめどがない怒り」を、どうしても抑えることができませんでした。

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「あんたなんか、死んでちょうだい」
息子に取り返しのつかない言葉を…

息子が小学生になると、私の虐待はますますエスカレートしていきました。担任の先生から「連絡帳」に、息子の「要領の悪さ」や「スピードの遅さ」を書かれるたびに、私は激昂してしまい、子どもを追い込んでいきました。

例えば…、「あんたなんか何も食べさせないからね」と言い捨て、下の息子だけをファミレスヘ連れて行くのです(※私には息子が二人いるのですが、私の虐待は主に上の息子に向かっていました)。置き去りにされた息子は、泣きながら窓を開け、遠ざかる私たちの姿を必死に目で追っています。放置された息子の悲しみ、寂しさが手にとるようにわかるのに…、私はわざと、そういうことをしてしまうのです。

息子をベッドで寝かせず、寒い玄関先で寝かせたり…、トイレやベランダに長時間閉じ込めたり…、本当に、あらゆるひどいことをしました。

一番、後悔しているのは…。息子に、「あんたなんか、もう、死んでちょうだい!」と言ってしまったこと。私の言葉に、息子は泣きもせず、おびえもせず、コクン…とうなずきました。

「うん、ママがそうしてほしいなら、ボク、死ぬよ…」。素直に従う息子に対し、私は「そう、でも、ここで死なれては困るから、あそこのビルから飛びおりてよ!」と激昂しながら高層ビルを指差したのです。息子は「わかったよ…」と家を出て行きました。数分後、私は自分の言ったことを激しく後悔し、息子を追いかけ、家に連れ戻しましたが…。真っ暗な道を、高層ビルに向かって、ぽつんと歩いていく息子の小さな背中を思い出すたびに…、胸がつぶれそうになります。

当時、私のしていたことが周囲にわかったら、私は虐待で逮捕されていたかもしれません。

家ではそんなふうにひどい扱いをしていたにも関わらず、完璧主義で見栄っ張りの私は、息子に毎日、習い事や塾に行くことを課しました。月曜日は「水泳」、火曜日は「体操」、水曜日は「塾」、木曜日は「お習字」、金曜日は「英語」、土曜日は「武道」、日曜日は「塾のテスト」…と、びっしりのスケジュールです。息子がいちばん遊びたい時期に、私はそれを奪ったのです。やさしい息子は、すべてを受け入れ、私を喜ばせようと反抗しませんでした。

私は自己重要感がものすごく低く、子どもの出来で、自分の自己重要感を満たすしか手段を知りませんでした。「まわりを見返したい!」「まわりにいい母親だと認めてほしい」という思いが強く、息子の自尊心のすべてを幼少期に奪っていたと思います。

「一緒にいたら、息子も私もダメになる…」
私ひとりで家を出て、宮古島に移住することに

その後、息子はしだいに「チック症状」が出るようになり、不登校が続くようになりました。そして、中学に入ると、ますます学校に行かなくなり、万引きやバイクの無免許運転などで、警察のお世話になることが増えたのです。

息子の体が大きくなるにつれ、言葉や腕力で勝てなくなった私は、虐待することもなくなりましたが、こんどは周囲の視線が気になって仕方がありませんでした。住んでいた社宅内で、息子が問題行動を起こすたびに、外に出たときの皆さんの視線が怖くて、苦しくて…。
「こうなったのは自分のせいだ…」「どうやって責任をとろう…」と、日々、自分を責めていました。家では毎日、息子が不良仲間たちを連れて来て大騒ぎをしていますが、私は怖いので注意もできません。私はどんどん、うつっぽくなり、ある日、自殺未遂をしてしまったのです。

幸い、自殺は未遂で助かりましたが、この直後から、「このまま一緒にいたら、私も息子もダメになる。なんとかしなければ…」と思うようになりました。そして、私の心には、なぜか「宮古島」というキーワードが浮かぶようになったのです。宮古島に興味を持つようになったのも、実は息子の「お母さん、宮古島ってね、気持ちがすごく癒される場所なんだって…」というひとことがきっかけでした。

141204_010[出典:Wikipedia]

私は、たったひとりで宮古島へ移り住むことを決めました。誰も知り合いもなく、なぜそんな遠いところへ逃げるように行ったのか自分でもわかりませんが、「この家にいたら、生きられない。とにかく南の島へ生き、ボロボロになった心と体を癒したい」という一心でした。主人は単身赴任中でしたし、ある意味、息子たちを捨てて、私は家を飛び出しました。

宮古島には、飼っていた猫4匹を連れていきました。パパ猫、ママ猫、その子供の2匹の猫。私にとって、いちばん苦しいときに、いつもそばにいてくれて、唯一、心を助けてくれたのがこの4匹の親子猫でした。

141204_006neko
私をいつも励ましてくれた猫たち。泣いていると、そっとそばにきて涙を舐めてくれました。
写真は「パパ猫」と「ママ猫」です。

大自然に囲まれた宮古島で、私は海を見ながら傷ついた心を癒し、落ち着いたら帰ろう…くらいの気持ちでした。

ところが、私が借りた家がたまたま広く、部屋がたくさんある家でした。近所の人から、宮古島に来た観光客が「ゲストハウス」を探していると知り(※「ゲストハウス」とは観光客が相部屋で一緒に生活する宿泊施設のこと)、ほんの軽い気持ちで、自宅で「ゲストハウス」を開きました。猫と一緒に泊まれるので、「深呼吸ハウス ニャンくるないさーという名前です。

それが、私が「仕事」に目覚めたきっかけでした。いままで専業主婦で、商売の経験などまったくなかった私ですが、自分の奥底で沸いてくるエネルギーを、「人を喜ばせること」に向ける楽しさを初めて知ったのです。ゲストハウスではホームステイのように長期滞在客が集い、夜はリビングにみんなで集まり、いろいろな話をしてくれるようになりました。私自身がすごく辛い経験をしてきただけに、どんな悩みにも共感できたことも幸いし、皆さんが次第に慕ってくれるようになりました。遠方から何度も泊りに来てくれるお客さんが増え、3年間の営業期間で延べ1000人が宿泊してくれるようになったのです。

ゲストハウスのお客さんが
ひとりさんのことを教えてくれた!

ある日、ゲストハウスの常連のお客さんが、「由香里さん、斎藤一人さんって、知っていますか?」と話を始めました。彼女は非常に辛い体験をされたそうですが、ひとりさんのCDで、ものすごく心が癒された…ということでした。その後も別のお客さんが次々と「斎藤一人さんのお話がすばらしい!」と口をそろえたように言うのです。私の胸には「斎藤一人さん」の名前が刻み込まれるようになりました。

正直言うと、私は「精神論者」と呼ばれる人は、堅苦しくてニガテでした。でも、お客さんと一緒にひとりさんのCDを聞いてみると、おもしろくて笑えるところがいっぱいあって、聞き終わった後に、なんともいえないおだやかな気分になったのです。私は、ひとりさんのCDが大のお気に入りとなり、次々とCDを聞くようになりました。

宮古島のゲストハウスは、3年を期にたたむことになり、さて、これから何をしようか…というときに、私は絶対に仕事を続けよう…と思いました。これでまた専業主婦に戻ってしまったら、息子に執拗なエネルギーを注ぐことになるかもしれません。それだけは避けたかったのです。

「斎藤一人さんの話が聞けて、大好きな猫もいて、皆の癒しになるような場所が提供できたらいいな…」。そこで、思いついたのが、まるかんの特約店と「猫カフェ」を合体させた、「ニャンかCOCOツイてる!」というお店です。

父親に虐待された「傷」を
私は息子に繰り返していた

ひとりさんの仕事を始めて数年後、私が新小岩の「ひとりさんファンの集まるお店」へ行くと、その日、たまたま、ひとりさんがいらしていました。

ひとりさんは私の顔を見ると、
「オレは“人相見”だからね。由香里ちゃんの顔を見ると、いままでいろんなことがあったんだなあ…ってわかるんだよね」
としみじみおっしゃったのです。私はそのひとことで、「やっぱり、ひとりさんには、何にも言わなくても、すべてわかってしまうんだ!」と思いました。

そして、私に向かってではなく、大勢のお客さんの方に向かって
「なぜ虐待をする人がいるのか」
というお話を始めました。私は密かに「これは私に向かって話してくださっているんだな…」と感じていました。

ひとりさんはこう言いました。
「この世に生まれてきた人は、みんな多かれ少なかれ、心に“傷”があるの。その心の“傷”に気が付いて、癒すために生まれてくるんだよ。それでね…、自分の“傷”の深さと、同じくらいの傷を持った親のところへ生まれてくるんだよ」。

私は、ひとりさんの話に食い入るように耳を傾けました。

「例えば、『虐待』っていうのは、自分も親にやられていた…っていうパターンが多いんだよね。親に暴力性があって、自分にも暴力性があるから、その家に生まれたの」。

私はひとりさんの話を聞くうちに、薄れていた幼いころの記憶がよみがえってきました。父が、母や私に対して、度重なる暴力や暴言を吐いていたのを思い出したのです。

私の父親は、地元の会社でズバ抜けて出世し、地方新聞をたちあげ、市政を追及するような人でした。「正義感あふれる人」と地元では有名人でしたが、ひとたび家に帰ると、暴君で家族にDVを繰り返していました。家の壁に穴があくほど母を突き飛ばしたり、包丁を持ち出してくるのは日常茶飯事だったのです。

私が3歳ぐらいのときでしょうか。母の留守中に、父は幼い私を、腰ヒモで柱にくくりつけ、そのまま外出してしまったのです。私は、縛られたまま放置され、苦しさと寂しさで泣きじゃくっている映像が頭に浮かんできました。

父が激昂したときの顔と、私が息子に虐待しているときの顔が、ダブって見えました。「いちばんキライだった時の父と、そっくりなことを私がしている…」。私はひとりさんの言葉で改めて、そのことに気が付いたのです。

「虐待をする」という
“傷”(トラウマ)があることに気付き
そのままの自分を許す

ひとりさんは話を続けました。

「それからね、虐待する人っていうのは、『ガンコな人』に多いの。そういう人はね、完璧主義なんだよ。自分にも完璧を期すんだけど、子どもが完璧でないことが、自分の不完璧にもつながるから、子どもを必死で完璧にしようとするんだよね。子どもが勉強ができなかったり、ゆっくりしているのが許せないの。なまじ自分が努力家だから、『自分は努力しているのに、子どもは怠けている』と思っちゃうんだよな」。

まるで昔の私を知っているかのように、ひとりさんの話はしみじみと私の心に沁みました。

「虐待を繰り返さないようにするには、自分にはそういう“傷”(トラウマ)があるっていうことに気が付けばいいの。それで、そのままの自分を愛して、そのままの自分を許してあげるの。そうすれば、その“傷”は消えていく。それしか“傷”を消す方法はないんだよ。虐待を代々、繰り返してきた家でも、その中で誰かが、そのことに気が付けばいいんたよ」。

私は、家族が代々繰り返してきた“傷”(トラウマ)を、私の代で気が付き、癒していきたい…と心から思いました。そのために、まずは「虐待」という罪を犯してしまった自分を、そのまま愛して、そのまま許す。そこから始めようと思います。

そして、いまさらながらですが…、私は息子に謝りたいのです。いちど息子に「あのときはごめんね…」と言いかけたら、息子は「あのころのことは、もう忘れたよ…」と話をさえぎりました。息子にとっては、記憶から消したいようなことでしょう。

でも、あえて言わせてください。お母さんはあなたに、本当にひどいことをしました。ごめんなさい。許してください。あのころのあなたを思うと、毎日、胸がつぶれそうになります。

そして…、お母さんはあなたのことが大好きなんです。愛しすぎて、あのようなことをしてしまったのかもしれません。本当にあなたを傷つけてしまいましたよね。

でも、最後に言わせてください。あなたは、お母さんにとって「宝物」です。こんなに未熟な母を選んで生まれてきてくれたあなたは、とてつもなく強く、やさしい魂の持ち主だと思っています。

この「ひとりさん通信」を、私は思い切って、息子に見せたいと思っています。

このような告白の機会をくださったひとりさんに、感謝の思いでいっぱいです。

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